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京都地方裁判所 昭和23年(タ)18号 判決

原告 林田操

被告 林田竜一 (いずれも仮名)

一、主  文

被告と原告とを離婚する。

原被告間の長男文夫の親権者を被告とし、長女千鶴子の親権者を原告とする。

被告は原告に対し金拾万円及び本裁判確定の日から各月末毎に一ケ月金弐千円の割合により金員を金弐拾万円に満つるまで支拂え。但し右金弐千円の割合による金員の支拂を引続き二回以上怠つたときは即時残額全部を支拂わなければならない。

訴訟費用は全部被告の負担とする。

この判決は主文第三項中金拾万円の支拂を命じた部分に限り仮りにこれを執行することができる。

二、事  実

原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨と被告は原告に対し金五十万円及び昭和二十五年五月一日より長女千鶴子が成年に達するまで一ケ月金五千円の割合による金員を支拂えとの判決と金員の支拂を求める部分について担保を條件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

原告は昭和四年七月十一日被告の両親元弁護士林田恒太郎夫妻の懇請により当時未だ関西大学在学中の被告と婚姻し、昭和七年二月七日には長男文夫、昭和九年三月十七日には長女千鶴子の一男一女を挙げ、妻としていわゆる内助の功を積んできたが、被告は由來薄志弱行、兎角物事に持続性を欠き昭和五年三月大学卒業後原告の叔父山脇春樹の世話で白木屋大阪支店に勤めたが、間もなく退社し、爾來今日に至るまで轉居轉職十数回に及び、然も一度も事業に成功せず、生活に窮し、原告の実家に寄食すること三度に及んだのであつて、殊に昭和二十年十二月上海から帰国後、二、三の商店に勤務したが、いづれも永続きせず、困窮の果て昭和二十一年八月末被告は妻子を伴い京都府字治郡東宇治町大字木幡小字東中の原告の実家小林家に身を寄せた。原告の実家は被告の困窮を見兼ねて、同所において製粉製繩業をさせたが、これに要するモーターは原告の実弟小林達也の出資により購入した次第である。然るに生來嫌厭性の被告は所期の営業成績をあげぬ内、早くもこれに厭き捨てて顧みぬようになつたので、原告は家計を維持するため、夫に代り曉起晩臥自らその業に当らざるを得なかつた。然るに被告は小林家の重なる好意や原告の妻としての内助の功に感謝しないのみか却つて逆に仇をもつて報い、昭和二十二年夏頃から親戚知人等に原告の実家が被告の財産を横領せんと企てている旨揚言し、且つ原告を問責して事毎に惡罵を加えるので、原告も内心離婚を希望するに至つたが、子供の將來を考え、隠忍よくこれに耐えていたところ、昭和二十二年十二月四日早朝突如原告及び二子を遺して家出し、その行衞をくらました。原告は諸所捜査の結果漸く京都市伏見区桃山の実姉丸山静江方に身を寄せていることを聞知し、その眞意を確めるため被告に面談を求めたが應ぜず、却つて同月十八日被告は媒酌人森川倫子方において丸山静江、小林達也等と立会い、原告と合意離婚するの外なき情勢に在るを確認し、翌十九日には小林家から自己の荷物を引取つて行つたものである。然るに被告はその後毫も離婚手続を実行せずさればとて原告に対する生活物資の補給もなさずして、昭和二十三年三月十三日、弁護士石川惇三を通じ内容証明郵便をもつて(一)原告に不逞の行爲ありとし、これを原因として離婚訴訟を提起すべきこと、(二)時價三十万円の家財類を小林家に残留していると称し近くその処置をなすべきこと、(三)製粉工場並に機械の使用を禁ずる旨を告知し來り、次で同月二十九日付郵便をもつて被告自ら書面を送り前記通告通り行動すべきこと、家財道具類引取りのため人夫を遣わすべきこと及び長男長女を被告の許に送り届けるべきことを通告し來つた。被告の乱暴と非常識はこれに止らず、同年五月十日原告の実家に架設してあつた被告所有の電話を該電話が当時原告にとつて自活の一助たる製粉製パン業に必要不可欠なる事実を知りながら無情にも局預けとなし、他に賣却せんとした。

右の如き被告の所爲は正しく民法第七百七十條第一項第二号にいわゆる惡意の遺棄に該当するから、原告はこれをもつて本訴請求原因の第一とする。

次に原被告間には婚姻を継続し難い重大な事由がある。すなわち被告は夫として妻に対する愛情を欠き又二子に対する父親として一家を維持すべき責任観念に乏しく、内にあつては暴君の如く自ら食に飽くことあるも妻子の饑を顧みることなく、外に出ては怯惰卑屈未だかつて妻子のため自ら努めて生活の安定を克ち得たことなく、三度も原告の実家に寄食し、その厄介になりながら、却つて逆に原告の実家が被告の財産を狙う如く言い、平気で忘恩の言動をなすのみならず、生來葛藤心に富み家庭に風波の絶え間がなく到底夫婦関係を維持する見込がない。從つて原被告間には婚姻を継続し難い重大な事由があるといい得べく、これをもつて本訴請求原因の第二とする。

然るところ長男文夫は昭和二十五年三月伏見高等学校を経て新制大学に入学し、長女千鶴子は伏見高等学校に在学中であるが、昭和二十二年十二月四日被告が原告を遺棄して以來、原告は或は衣服調度を賣却し、或は実弟親族よりの金借等により漸く右二子をその膝下において養育してきたのであつて二子の養育のため昭和二十三年一月一日より同二十五年四月三十日に至るまで二十八ケ月間に、一人一ケ月五千円合計金二十八万円の費用を支出した。しかし、原告は自己の経済的能力をもつては、既に新制大学に進学した長男の学資を支弁することができないので昭和二十五年五月に至り長男文夫を被告の許に遣るの止むなきに至つた。從つて親権者として監護教育の任に当るものは長男文夫については被告とし、長女千鶴子については原告とするほかない。これに反し被告は昭和八年二月実父死亡によりその遺産の分配を受け、相当資産を有するに至つたが、京都市右京区西院における自動車修理工場の如きは原告の努力によつて集積増殖したものであり、その他多年の困苦欠乏の間における原告の内助の功によりこれが喪失を免れたものも少くなく、現在において其の有する財産の見積額総計四百五十万円以上である。

以上の次第で原告は、原被告間の離婚と長男文夫については被告を長女千鶴子については原告を親権者と定める旨の宣言を求め、併せて金五十万円の財産分與と昭和二十五年五月一日から長女千鶴子が成年に達するまで一ケ月金五千円の割合による監護費用の支拂を求めると述べ、被告の主張事実中原告の実弟小林達也が、第三高等学校に入学するまで数ケ月間被告方に寄宿していたこと、同人が学生時代ある婦人の誘惑に陥り私生子認知、慰藉料請求の訴訟の提起を受けたことを認め、その余を否認し、殊に達也は三高東大時代を通じ家庭教師として学資を稼ぎ又大日本育英会から補助を受けて勉強したのであつて、自己の一家さえ仲々養い兼ねた被告に達也の学資を貢ぐ余裕等あり得る筈がない。又同人が私生子認知、慰藉料請求訴訟の提起を受けたとき原告が右私生子を原被告間の養子として隠便に処置すべく被告に懇願したことはあるが、達也が被告にこれを強要したことはない。更に達也は所有山林の賣却により慰藉料等は容易に支弁し得たのであつて被告主張の家屋賣却の件は達也が慰藉料捻出のため提案したものではなく却つて被告より該家屋買受の交渉があつたのであつて、被告の窮乏を知る達也は時價八万円以上のものを僅か二万円で讓渡さんことを申入れたが、疑深い被告はこれに同意しなかつたのであると述べた。<立証省略>

被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求め、答弁としては原告主張事実中被告が昭和四年七月十一日被告と婚姻し、爾來原告と同棲してきたこと、その間原被告が三度原告の実家に同居したこと、原告主張の日時一男一女を儲けたことは認めるが、その他はこれを否認する。

第一に被告は原告を悪意をもつて遺棄したことはない。もつとも被告は昭和二十二年十二月十二日頃原告の実家に原告及び二子を遺して京都府宇治郡東宇治町大字木幡小字南山の被告所有家屋に轉居したが、被告が別居生活をなすについては次の如き止むを得ざる事由があつたのである。すなわち被告は、昭和二十一年秋当時何か事業をしたいと考えていたところ、偶々原告から、「藁工業製粉業がよい。小林の家が空いているから、あそこでやらう」と勧められてその気になり東宇治町大字木幡小字東中の原告の実家小林家の一部を借受け相当の資本を投じて設備をしたのである。ところが昭和二十二年になつて原告の実弟小林達也が学校を卒えて帰宅してきたが同人は情婦を作り子供ができたので、女から私生子認知、慰藉料請求の訴訟を起され、その処置に窮した結果、不当にも被告に対し、その子供を原被告間に出生したものとして虚僞の届出をなさんことを求めたが被告はこれを拒絶した。更に達也は、慰藉料支拂の金に困つてその所有建物を高く買取れと迫つたが、その要求額が法外なため、被告はこれも拒絶せざるを得なかつた。そもそもこれらのことが原因となり、達也は原告と相謀り、被告の追出を策するに至り、昭和二十二年八月頃から、事毎に被告に圧迫を加え、原告もまたこれに加担し、殊に昭和二十二年九月二十三日夜被告が帰宅するや、原告と達也の両名は「何しに帰つたのか、即時に出て行け」と階段より被告を打倒し、暴力を加えるので、已むなく被告は実姉丸山静江方に難を避けたのである。被告は、子供も居ることとて、その後仲人の勧めにより一旦原告の許に復帰したが、原告は更に反省の色なく「あなたは女中位を嫁に貰えばよかつたのだ。私は学者の処へ行けたのである。あなたなんかには勿体ない。生活無能力者である。白痴である。夫とは思わぬ」等と口汚く罵り責め遂に被告には身辺に危險すら感ずるに至つたので、当分別居生活を決意したのである。右の次第で被告は小林家を出るについては止むを得ざる事由があつたので木幡小字南山の被告所有家屋において原告及び二子を引取り夫婦共同生活をなす積りで原告に対し、その旨申入れたが、担んで應じなかつたのであるから、被告が原告を悪意をもつて遺棄したというには当らない。

第二に原被告間には婚姻を継続し難い重大な事由はない。蓋し原告は被告方に嫁して以來約二十年間安隠なる生活をなし、その間被告において実父母より相当なる補助を受け、家庭には一人乃至三人の女中を置いたこともあり、原告をして何不自由ない生活を営ましめたのみならず、昭和十二年頃達也が父と折合わず家出していたとき、約半年間に亘りその面倒を見てやり、高槻高等医学專門学校から第三高等学校に轉じた当時、同人の学資は殆んど全部被告が負担していたのである。のみならず被告は実父の死亡後その遺産の分配を受け、今日においても生活に事欠かない次第で、原告は妻として寧ろ被告に感謝すべきものである。もつとも被告は三度に亘り原告の実家に同居したが、それは次の如き事情によるものである。すなわち昭和五年被告は病気となつたので原告を一時実家に預けたが、その時世話になつた礼として、四分利公債一万五千円を原告の父に贈與し、それが今日小林家の財産の基礎をなしたのである。その後昭和十三年十二月当時小林家においては原告の父が死亡し、母は病気入院のため一家不在となつたので留守番を頼まれ三、四ケ月同家に行つたことがあるが、その時は原告の実家のため留守番をしてやつたのであつて、厄介をかけたわけではない。三度目は昭和二十一年秋のことで被告が小林家に同居するに至つた経緯は前述のとおり、むしろ原告のたつてのすすめによつたものである。かような環境にあつた原告に離婚理由のあるべき筈なく、本件は要するに平素いわゆる嬶天下の家庭として我儘一杯したい放題の生活をしてきた原告が、法科大学を出て法律に詳しいと自称する実弟達也に唆かされ、新民法の財産分與という制度に眩惑されて誤れる行動によるものであつてもとより失当であると述べ、原告の財産分與の請求に対し、原告が一方において被告を生活無能力者と罵りながら、他方において数百万円の財産を有する如く主張するのは、常規を逸した矛盾というほかはない。原告は被告に対し、離婚請求権を有するものでないことは前述のとおりであつて、これあることを前提とする財産分與の請求はもとより失当である。なお被告の有する財産は全部亡父の遺産であつてその内最も重要なものは、小林家にある製粉設備等有体動産約四十万円であるが、これは原告において現に所持し、自由に使用收益している。そのほか、京都府東宇治郡大字木幡小字南山に家屋約十五万円相当があるが、これが被告財産の実体であると述べた。<立証省略>

三、理  由

原告が昭和四年七月十一日被告と婚姻し、昭和七年二月七日には長男文夫、昭和九年三月十七日には長女千鶴子の一男一女を儲けるに至つたこと、被告が昭和二十二年十二月当時の寄寓先たる京都府宇治郡東宇治町大字木幡小字東中四十五番地小林達也方に原告及び二子を遺して独り同町大字木幡小字南山十八番地の居宅に立去つたまま、帰來しない事実は之等の点に関する当事者間の一致した主張に照し明かである。

よつて按ずるに被告に於て成立を認めるにより眞正に成立したものと認むべき甲第二号証の一、二、同第三号証の一、二と証人小林達也、同伴健次、同佐藤治、同北川秀雄、同小林ふみの各証言ならびに原告本人の訊問の結果を綜合すると、原告は被告の両親に望まれて当時未だ関西大学在学中の被告と結婚したものの、被告は独立自営の気慨に乏しく、持続性を欠き屡々其の職を替え夫たり父たる責任の自覚が足らなかつたので勝気な原告との夫婦仲は兎角円満を欠くことは多かつたこと、昭和二十年十二月被告は上海から引揚後一、二商店に勤務したが、いづれも永続きせず無爲無策の爲め家計困難となり翌二十一年八月末原被告は二子を抱えて原告の実家たる小林家に身を寄せるに至つたこと、小林家は原被告の窮状を見兼ね、同家で製粉業をさせることとし、これに要するモーターは実弟小林達也の出資を得て購入し、同年十二月から製繩をも兼業するに至つたが、所期の如き成績をあげぬ内被告は当初の熱意を失い漸次顧みぬようになつたので、妻たる原告が夫に代り一家の支柱として曉起晩臥自らその衝に当らざるを得なくなり、自然これに忙殺されることが多くこれがため翌二十二年夏頃から殊に日常生活において例えば食事の世話とか洗濯物の処理等につき妻としての原告の被告に対する配慮に行届かぬ点が生じたが、之固より被告の自ら招いた止むを得ぬところであるから忍ぶのが当り前であるのに被告は原告のこのような態度にひどく不満を覚えかくて夫婦としての愛情は日々に薄れると共に夫婦生活の間隙は延いて原告の実母、実弟と被告間の不和を釀すに至つたが被告は深く自らを省み此の不満を自己の胸中に納むることをせずその身内の者等に対し原告及其の母、弟等の惡口を言いふらしたので益々紛議は甚しくなり、同年夏より秋にかけ両者親類の間で離婚の協議すら惹起する情勢となつたが、偶々その頃被告が実兄林田振作外一名と共有する山林を独断賣却したことにつき右振作より難詰せられ、これがため買主との間に立つて窮地に陥つたのを機に昭和二十二年十二月四日早朝遂に被告は原告及び二子を小林家に遺して突如家出し、一時その所在を晦し紛議を続ける内、同年十二月十八日媒酌人森川倫子方において被告は右倫子、実姉丸山静江、小林達也等と立会い、原被告が離別のほか解決の途なき以上むしろ協議離婚の手続を執るにしかずと言明し、席上妻たる原告本人不在のため確定的結論には到達しなかつたものの、関係者も円満復帰の困難なことを悟り、多くは仲介の労を取ることを断念していたものであつて、翌十九日被告は森川倫子、丸山静江等と共に小林家より自己の身廻り品を引取つて行つたこと、然るに被告はその後協議離婚の手続を履践せず、さればとて原告に対し一銭の仕送りもなさず、原告はこれがため二子を抱えて衣類や身廻り品を賣拂つて糊口を凌ぐ内被告は昭和二十三年三月十三日代理人弁護士石川惇三名義をもつて書面を送付し、原告及び小林達也等をはげしく誹謗し、(一)原告に不逞行爲ありとし、これを原因として離婚訴訟を提起すべきこと、(二)時價三十万円の家財類を小林家に残置しているにつき近くその処置をなすべきこと、及び(三)製粉工場並に機械の使用を禁ずる旨通告し、次いで被告自ら同月二十九日付郵便をもつて原告に対し前記代理人石川弁護士の通告どおり行動すべきこと、家財道具引取りのため人夫を遣わすべきこと、二子を被告方に送り届けるべき旨申入れた結果、原告も事茲に至つては最早被告との間に円満妥協の道なく、むしろ進んで被告に対し離婚を訴求するに如かずと決意するに至つたことを認め得べく、証人丸山静江、同森川倫子、同林田振作(第二回)の各証言及被告本人尋問の際の同人の供述中右認定に反する部分は措信しない。被告は小林家を脱出するについては止むを得ざる事由があつたので、木幡小字南山の居宅において原告及び二子を引取り夫婦共同生活をなす積りで、原告に対し、その旨申入れたと主張するけれども、被告が小林家に原告及び二子を遺して家出するに至つた事情はすでに前段認定のとおりであつて、被告家出当時の準拠法たる日本国憲法の施行に伴う民法の應急的措置に関する法律第五條によれば「夫婦はその協議で定める場所に同居するものとする」と規定されているから、被告が妻たる原告の意思に反して從來の夫婦共同生活を廃止し、その協議に因るにあらずして單に一方的に夫婦の居住する場所を指定しても、原告において諸般の事情から之に應ずるのが当然であるのに勝手気儘に之に應じないと考へられる場合は別とし、そうでない限り原告は之に從う要はないものであるが、前段認定の事実と証人小林達也の証言、原告本人訊問の結果に徴すると、被告は夫として一家の支柱たるの責任観念を欠き一家生計の困難に直面するも、これが打開を被告に期待しがたい事情にあつたこと、被告が同居すべき場所として指定した木幡小字南山の居宅は山腹にあるため、営業に適せず、同所にあつては一にあまり当にもならぬ被告の收入に頼つて徒食する以外に生計の途なき関係にあることを認め得るから、被告が原告を同所に引取り同居をなすも到底原告をして安んじて家庭生活を享受せしめるに足る諸條件を具有しないものというべく、原告は被告の居所指定に應ぜざるにつき正当の理由あるものと謂うに足る。然るところ離婚原因たる悪意の遺棄とは故意に相手方の意思に反してなす夫婦共同生活の廃止すなわち悪意に出でたる同居義務の不履行を指称するものと解するから、右認定の如く被告が原告及び二子を遺して家出し、捨てて顧みないのは、悪意をもつて遺棄したものと認めることができる。そして右認定の如き事情の下においては、原被告の愛情が復活し、將來円満に婚姻を継続し得られることは至難と認めるを相当とするが故に本訴請求中原告が被告に対して離婚を求める部分を正当として認容する。

なお原被告間の長男文夫は現在被告の許にあつて新制大学に通学中であることは証人林田振作の証言(第二回)によつて明かで、右事実と前段認定の如き事実関係に照らすと、父たる被告をして長男文夫に対し、母たる原告をして長女千鶴子に対し各親権を行使させるを相当と解するから民法第八百十九條第二項に基き原被告間の長男文夫の親権者を被告、長女千鶴子の親権者を原告と定める。

次に原告の被告に対する財産分與の請求について判断するに元來この制度は臨時法制審議会の民法親族編の改正要綱(第十七)に定められた思想の発展とみることができる。然るところ同要綱はこれを「離婚ニ因ル扶養義務」とし離婚の後に一方が「將來生計ニ窮スルモノト認ムヘキトキ」の救済としているのであつて、新法による財産分與制度の解釈適用に当つても、夫婦の一方が現実には多くの場合生活能力に乏しい妻であるが、離婚により直ちに生活の危險に直面するのを黙認すべきではないということに留意しなければならない。しかし新法による財産分與の制度は法文の上から言つても單にこれに止まるものではない。この制度の中心的な根拠をなすものは、婚姻共有財産制の思想とみるべきで、夫婦の共同生活は、妻の有形無形の協力扶助いわゆる内助の功に負うものであるから、婚姻中に夫婦の一方の取得する財産はもとより婚姻生活を通じてその維持し得た財産は実質的には夫婦の共有に属するとなすもので、もとより正当といわなければならない。しかし、この婚姻共有財産制の思想も絶対的なものではあり得ない。民法第七百六十八條は「当事者双方がその協力によつて得た財産の額」のほか「その他一切の事情を考慮」すべきものとして具体的妥当性の実現に努むるべきことを規定しているから、この意味においては、離婚の原因を與えたものが、どちらであるかということも「分與させるべきかどうか並に分與の額及び方法を定める」について決して無視し得ないであろう。以上の観点から本件における具体的事情を檢討するに、鑑定の結果によれば被告の所有に属すること当事者間に爭がない京都府宇治郡東宇治町木幡南山十八番地所在、一、宅地約二百五十坪(地上権)家屋番号百八十一番、一、木造瓦葺平家建居宅建坪五十九坪六合附属一、木造瓦葺平家建物置建坪三坪、一、木造瓦葺平家建倉庫建坪三坪二合は約四十五万五千円の價格を有するものと認め得べく、被告が昭和二十三年九月八日訴外京都貨物自動車運搬株式会社に対し、その所有に係る京都市上京区西院高山寺町十二番地の三、四、五の三筆の宅地及び地上建設の工場を少くとも代金三十万円で賣渡し、その頃三回に亘つて右賣買代金を受領していることは眞正に成立したものと認むべき甲第五号証の一、二、三と証人井上忠一郎の証言を綜合して認めることができる。更に眞正に成立したものと認むべき甲第六号証、同第七号証の一、二と証人小島勝、同林田振作(第一回)の各証言、被告本人訊問の結果によれば、被告は兵庫縣武庫郡本山村字岡本所在山林家屋土地に対する四分の一の持分権を有し、該山林土地家屋は大正八年中代金五十万円をもつて買入れの申入があつたが、自重してその申込に應じなかつた程度の價格を有するものなること、共有者の一人である訴外林田振作は、他の共有者たる被告外一名の同意を得て、昭和二十四年四月頃訴外小島勝に対し、少くとも代金四十三万円で賣却していること、被告は現在教育公務員として学校に奉職中であることを認定することができる。反面原告本人訊問の結果によれば原告は昭和四年婚姻以來ともすれば生活態度に眞劍味を欠く夫を助けてよく努め被告をして父よりの遺産の喪失を免れしめたのみならず昭和二十二年十二月四日被告の小林家脱出以來二子を抱えて同家に寄寓し、実家や親戚の援助、自己の身廻り品や衣類の賣喰い等により或は他家に雇われ等して二子を愛撫養育してきたこと、原告は定收なく再婚の機にも乏しい四十余歳に達する婦人であることを認め得べく、又長男文夫が最近新制大学入学後は被告の許に赴き現在は長女のみが原告の膝下にあること及び本件離婚の原因が被告の遺棄にあることはすでに前段認定のとおりである。以上認定の如き原被告双方の事情を綜合すると、原告の被告に対する財産分與の申立は金三十万円の限度において正当として認容しその余を失当として却下し、分與の方法は金十万円を即時に残額二十万円は本裁判確定の日から毎月二千円宛を崩済すべく右崩済金の支拂を引続き二回以上怠つたときは期限の利益を失うことと定める。

なお原告は被告に対し、昭和二十五年五月一日から、長女千鶴子が成年に達するまで、一ケ月金五千円の割合による監護費用の支拂を求める申立をしているけれども、前段認定の原被告双方の経済状態と原告を同女の親権者と定め、金三十万円の限度において原告の被告に対する財産分與の請求を認容したことを考えると、親権者たる原告が、自己の費用負担において、同女を引取り監護するを相当と認めるから、原告の右監護費用支拂の申立は之を失当として却下する。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條第九十二條但書、仮執行の宣言につき同法第百九十六條第一項を各適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 宅間達彦 前田治一郎 宮崎福二)

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